犬の生活

1918年のチャップリン映画。

放浪者が野良犬の群れにいじめられている一匹の犬を助け、「スクラップス」と名付け一緒に生活する。お金を持たず入った酒場で歌手と出会うが店を追い出される。その後、強盗が紳士から盗んで埋めた財布を犬が掘り当て大金を手にし、再び酒場へ。一度は財布を強盗に奪われるが取り戻し、歌手・犬と共に田舎で幸せに暮らす。

浮浪者に扮したチャップリン、彼の寝床である空地の塀の傍。「塀のアチラとコチラ」を場面が行ったり来たりするギャグの後には、「カメラが引いたら警官が」というオチ。この「行ったり来たり」が映画の基調になっているようで、物語は、寝床から、屋台を経て酒場へ、あるいはまた寝床へ、という「行ったり来たり」。警官の目もそこに絡んでくるスリル。そして「目を盗んで早食い」「犬の尻尾」「秘儀:二人羽織」などのギャグが、次から次へと盛り込まれる。

40分の中に暖かさと笑いが凝縮されている。

ベン・ハー

1959年制作のアメリカ映画。

ローマが領土を拡大していた共和制から帝政への移行期の物語。ユダヤの豪商ベン・ハーとローマの役人メッサラは友人同士だったが、ベン・ハーがローマへの協力を拒否したため、メッサラはベンハーの財産を没収し、彼をガレー船の漕ぎ手におとしめる。3年間の奴隷生活の間にベン・ハーはローマの武将の信頼を得て海戦の最中に武将を助けて勝利に導く。ローマで歓待を受けた後にベン・ハーは久々にユダヤの地に戻るが、不当で残酷な制裁を受けて離散した家族や以前の使用人達を探し当てた時、ベン・ハーは復讐の鬼と化していた。

画面を埋め尽くす程のエキストラを使った観衆が囲む中綺麗な毛並みの馬が4頭並び命を賭して御者がレースを行うシーンは、生のド迫力を感じる。

かつての親友が怨敵となるストーリーの悲しさ。

ただ最後はキリスト復活がテーマとなっており、全て許されるという状況で終わるのが寂しい結末だった。

スケアクロウ

1973年のアメリカ映画。

暴行傷害の罪で服役し、その刑期を終えたばかりのマックス(ジーン・ハックマン)と5年越しの船乗り生活から足を洗ったライオン(アル・パチーノ)が出会う。

マックスは洗車屋を始めるためにピッツバーグへ、ライオンは一度も会ったことのない自分の子供に会うためにデトロイトへ向かう。

大男で血の気の多いマックスと小柄で陽気なライアン。この正反対の二人の凸凹ぶりと、二人の人生が垣間見える瞬間が絶妙に表現されていて、とても好きな映画だ。

明日に向かって撃て

1969年のアメリカ映画。

西部で名を馳せた荒くれ者ブッチとサンダンスは列車強盗を繰り返し、ついに最強の刺客を鉄道会社から派遣されてしまう。はじめはなんとか逃げ切ることに成功する二人だったが、刺客たちは追撃をやめることはなく、ひたすら彼らへと猛追してくる。

二人は巨大な滝まで追いつめられ、逃げ場を失ってしまう。

ブッチは一か八かで滝つぼに飛び込もうとサンダンスに提案するが、サンダンスはかたくなに拒否し続ける。

サンダンスは泳ぐことができなかったのだ。大笑いをする二人だったが、ついに意を決して飛び込んだ。

命からがら逃げのびた二人は、サンダンスの恋人エッタとともにニューヨークを経て南米ボリビアへと逃亡する。

不慣れなスペイン語をエッタに教わりながら、銀行強盗その他の犯罪を重ねていくうちに、すっかりボリビアでも有名になってしまった三人だが、エッタは途中で別の道を行き、二人は寒村で身元がばれて地元の警官隊と銃撃戦になる。

シリアスな話の筈なのに、どこか柔らかい雰囲気があるのは、ユーモアの成せる業か。銀行強盗時の台詞を忘れてカンペを出すシーンとか、キッドが「俺、泳げないんだ」と告白するシーンとか、緊迫した中にふっと笑いを入れる辺りが洒落ている。

シェーン

1950年のアメリカ映画。西部劇の大作。

流れ者のガンファイター、シェーンがたどり着いたワイオミング州ジョンソン郡の開拓地は、悪徳牧畜業者のライカー一味の暴虐に苦しめられていた。シェーンは、当初ジョー・スターレットらの開拓農民たちから疎まれるが、やがて和解する。

ジョーやその息子ジョーイと友情を結ぶシェーンだったが、ジョーの妻マリアンは彼に惹かれ、またシェーンも彼女に惹かれてゆく。

ライカー一味たちの弾圧はエスカレートし、ライカーは殺し屋のウィルソンを雇う。彼らは開拓農民の一人を殺害するが、その暴虐に、農民達は結束して立ち向かうことを決意する。この抗争に終止符を打つため、ライカーに独りで会いに行こうとするジョーだったが、シェーンはこれを力ずくで止め、独りライカー一味の元へ向かう。

ライカー一味やウィルソンとのガンファイトに、シェーンは勝利する。物陰から彼を狙い撃とうとしたライカーの弟は、追いかけて来たジョーイのとっさの一言で、シェーンに返り討ちにされる。

ヒーロー然としたヒーロー像、ラストの「シェーン、カムバック」この一言はシェーンに届いていたのか。
後姿が悲しい。

どちらが善でどちらが悪か、という概念が存在しない為、ラストが余計に寂しく感じられるのかもしれない。

羅生門

1950年制作。

芥川龍之介の小説「藪の中」を故・黒澤明監督が映画化した時代劇。ある侍の死に立ち会った、男女4人それぞれの視点から見た事件の内幕を生々しく再現する。

志村喬演じる杣売りが金沢の死体を発見、検非違使が事実関係を確かめるために多襄丸、真砂、金沢武弘を呼び、その三人の証言を基に進んでいくが、それぞれ証言内容が食い違っていて、真相が分からない。

事件のあった日のうだるような暑さ、ぎらぎら輝く太陽、木漏れ日、顔に映る葉影、玉の汗、光る刀、岩清水、そして僧の心の状態を表現するかの様な大雨の描写が、迫ってくる。

柿売りの語る真実が人間の醜い本性をこれでもか、とさらけ出しながら、最後に赤ん坊が明るい未来を見せてくれる。

黒澤監督の性善説を信じるメッセージが伝わってくる様だ。

アラビアのロレンス

1962年のイギリス映画。

第一次世界大戦中のシナイ半島。砂漠の民アラブ人は、民族国家の建設と近代化をいち早く達成したトルコによる侵略を受けていた。アラビアの言語や文化に精通したイギリス軍のロレンス少佐は英国の敵ドイツと組むトルコをアラビア半島から駆逐するため、英土両軍が思いもつかない奇襲作戦でトルコの手に落ちたアラブ人の都市を奪還していく。ロレンスの行動の目的は単にイギリスの権益を守ることではなく、アラブ人に自信を回復させ、さらにはトルコ勢力一掃後のダマスカスを中心にアラブ民族の統一国家を樹立することだった。

前半の方では自信に満ちていたロレンスが、後半になると弱みを見せてくる。
同じ人間でもこうも違う表情を見せる様になる。

アラブの民族をまとめあげ、計画通りうまくいっていたロレンス。
何をやってもうまくいく時というのはあるのだろう。
しかし、そうした時に試練はやってくる。

砂漠(自然)の雄大さと、人間の弱さを対比するかの様な表現力に魅せられる。

漠を舞台にしたアラビア部族たちの騎馬隊は全て本物だと言う。映像の迫力に圧倒されるのも分かる気がした。

 

看護師は激務ではない – 井上 晃宏

「普通の能力の人が、大した努力も教育もなしで就ける職業で一番給与が高いのは看護師だよ」と言うと、オウム返しに「でも看護って激務なんでしょう?」と言われる。
じゃあ、どのへんが激務なのかと聞いても、「夜勤があったり長時間労働だから」「肉体労働だから」という答えしか返ってこないのだが、そのどちらも間違っ ている。夜勤については、週40時間の制限内で行われている。三交代の(日勤→深夜勤)とか、(深夜勤→準夜勤)みたいなシフトだと辛いが、最近増えてき た二交代だと、まとまった休みが取れる。
医療業界以外でも、夜勤はある。夜勤の方が短時間で金が稼げるので、夜勤を専業にする人もいる。夜勤には法規制があり、それらが守られている限りは、大し て健康被害は発生しない。警備員や運送業や建設業や24時間スーパーが激務なんて話はないのと同様、看護の夜勤も激務ではない。
「肉体労働だから激務」というのも、大して根拠がない。患者の体位変換や移動に力が要ることは事実だが、それって、農林水産業や建設業や運送業や小売の荷運びよりも高負荷なんだろうか。もっと負荷の高い肉体労働はいくらでもある。
看護師には女性が多いので、「母性保護」という問題があるが、妊娠したら業務軽減を申し出る権利はある(労基法65条、66条)。しかし、看護師側が申し 出ないので、妊婦にも夜勤が割り当てられる。「申し出たら」という留保をなくして夜勤制限を強制にすれば、金を稼ぎたい労働者の「働く権利」とぶつかるだ ろう。これも、看護師だけの問題ではなく、夜勤をする女性すべてに共通する問題であり、看護師が特別に過酷とも言えない。
結局、看護師労働問題とは、しんぶん赤旗の紙面のように、経営側の事情を一切考えなくていい労働者が、互いに矛盾する主張を言いたい放題言っているだけだ。
やたらと激務を喧伝する看護協会も困ったものだと思う。労働闘争的には正しい戦略だが、その結果、新規参入が少なくて、看護師の水準が低くなっている。
看護業界には、月8回も夜勤をこなす激務の職場もあるが、月4回かそれ以下というところもある。忙しい職場も、のんびりした職場も、給与はほとんど変わら ない。週3日だけ、昼間だけのパートタイム勤務を選ぶこともできる。パートタイムでも時給は2000円もある。職場を選ぶ自由がある以上、ブラック企業な んて成立しない。
毎年15%の看護師が退職するというデータがあるが、15%の退職率は多くない。3年で半分が辞めるのはむしろ普通だ。常に不足していて、転職市場が整備されている看護師の場合は、退職しても、すぐに次の職場が見つかる。看護師は、決して「使い捨て」ではない。
新卒未経験の人が、週40時間労働で年収500万円ももらえて、高齢になっても働ける職種なんて、いまどき看護師ぐらいしかないのだから、もっと新規参入者が増えてほしいと思う。

 

この人は、なぜこんなことを言うのだろう。

こんなことを言えば、敵が増えるのはわかっているはずなのに。

この人の言っていることも、間違っている訳ではない。

その仕事に就いて、激務なのかどうなのかを判断するのはその人次第で、激務と思う人もいれば思わない人もいる。

だとすると、看護師の業務は一般的に激務といわれているので、看護師がそう言ってたりもするんでしょう。

だとしたら激務なんじゃないの?

はたから見ても激務に見えます。

単純に夜勤だけの問題ではない。

命に関わる仕事で、間違いを犯すと死に至らしめる可能性もある。

厳しい仕事だと思いますよ。

「警備員や運送業や建設業や24時間スーパーが激務なんて話はない」なんて言ってるけど、その職に就いたことないよねきっと。

言いすぎもほどほどにしておいた方がいいと思いますよ。

このような医師とは一緒に仕事はしたくないと考える看護師の方、看護師 求人 好条件を参考に転職先を検討してみてください。

ジョニーは戦場へ行った

1971年のアメリカ映画。同名の小説の映画化。

第一次世界大戦に参戦したアメリカの兵士。戦場で砲弾にやられ、四肢、視聴覚、発声を失った状態で軍病院に収容されている。それでも周囲で何が起こっているかは想像でき、自分の意思を首の上げ下げで伝えることができる。彼が夢の中で想い出す過去、そして現在、伝えようとする意思とは…

モールス信号によって「死ねないなら、むしろ見世物にして欲しい」というメッセージを伝えた主人公。
これは悲しすぎる。

夢の中の見世物小屋でもお金の音だけして観客が一人もいなかった事から、自分は存在するしていないという虚無感を主人公は痛感していたのだろう。

痒いところを掻く事すらできない、話せない、意思もずっと伝えられなかった、これは死ぬよりつらい「生きる」事だ。

ただの反戦映画として括る事のできない、重い重い人生ドラマだ。

 

スマホ使い電子カルテ 能美・芳珠記念病院

能美市の芳珠記念病院は10月1日、宮崎大が開発した電子カルテシステム「WATATUMI(わたつみ)」を、県内で初めて導入する。院内専用のスマート フォン(多機能携帯電話)と、パソコン端末との情報のやりとりが可能で、医師や看護師らが即座に患者情報を共有し、医療の安全性や利便性を高める。

スマホは主に看護師が活用する。入院患者らが装着するリストバンドのバーコードを読み取って確認し、患者の取り違えを防ぐ。スマホで入力した血圧などの検査結果はパソコン端末の画面に反映され、スマホでもレントゲン写真などの情報を参照できる。

患者の診療の流れを一覧表示でき、蓄積した情報を3秒以内に表示する処理速度の高さが特徴。宮崎大医学部付属病院など、九州の17病院で取り入れられている。

仲井培雄(ますお)理事長は「医師や療法士ら各職種が協力して素早く対応し、患者にとって安心安全な病院でありたい」と語った。

 

医療の現場も、どんどん進化しますね。

スマホも要は小さなパソコンですからね。

ノートパソコンを持って歩くのは大変だし、タブレットでも邪魔になるだろう。

そこでスマホである。

画面が小さいため、入力が少し面倒かもしれないが、携帯性は抜群。

小さいだけで機能的には十分PCの代わりを果たす。

理想的ですね。

このような先進的なシステムを導入する病院で働いてみたいと考える看護師の方、看護師 求人 給料を参考に職探しうぃしてはいかがでしょうか。