リーサルウェポン3

ロサンゼルス市警の巡査部長・リッグス&マータフは、あるビルの駐車場に仕掛けられた爆弾を爆弾処理班を待たず勝手に解体しようとしたあげく失敗し、ビルを完全に爆破するという失態を犯す。巡査に格下げになってしまった二人はパトロール中に輸送員に変装した強盗に遭遇。ビリーというチンピラを逮捕する。しかし、取調室でビリーは何者かに殺されてしまった。内務調査部が動き出したことに不満なリッグス。

ある日、若者の麻薬の取引現場を発見したリッグスは逮捕を試みるが、フルオートマチックの小銃で乱射に遭う。マータフが犯人を射殺したが、実はそれは息子の友達であった。未成年の銃事件とビリーを調べるうちにある人物が浮上する。

レインマンには実在のモデルが居た

実在のモデルは、サヴァン症候群のキム・ピークと言われている。キムと面会した作家のバリー・モローがその能力に驚愕し、小説を書きあげる。
当初、ホフマンは弟の役だったが、兄の役柄に大きな感銘を受け、自分が演じることを直訴。何度もキムに面会し、役作りに励んだという。
床に落ちた爪楊枝を瞬時に計算したキム・ピークの実体験がそのまま映画のエピソードとして出てくる。ただし自動車運転などは困難を極めた。
映画「レインマン」の公開後に有名となったキムは、しかしなんら生活を変えることなく、毎日を図書館で過ごし、小説から図鑑、電話帳、住所録までを片っ端から読破して、記憶する日課を死ぬまで続けて、09年12月19日に58歳で亡くなる。

何だか、悲しい話である。

007 ゴールドフィンガー

前作『007 ロシアより愛をこめて』のヒットで、シリーズの人気を決定付けたが、この映画でさらに人気を不動のものとしたと言っても過言ではない。ガンバレルから始まるオープニングとボンドの活躍、ボンドが世界各地を飛び回る、Qの研究室に訪れ多種多様な秘密兵器の説明とそれらの兵器を受け取る、ボンドカーの登場など、現在の007シリーズの基礎がこの作品である。また、初めて犯罪組織スペクターが登場しない作品でもある。

本作は1964年の世界興行収入で1位の映画となり[4][5]、日本では1964年の外国映画興行成績で第3位、1965年には日本映画も含めた興行成績で第1位となった。

ウエスト・サイド物語

映画の大部分はロサンジェルスに作られた、ボリス・レヴィン設計によるセットで撮影された。ただ、映画冒頭の一連のシーンはニューヨークの、現在はフォーダム大学リンカーン・センターキャンパスが建っている一角で撮影された。舞台版監督のロビンスは音楽シーン、ダンスシーン、ファイトシーンの全責任を負っていたが、撮影が60%ほど進んだ時点で予算超過を理由に解雇された。彼の最後の仕事は決闘場面の演出書きであった。

映画は1961年10月18日にユナイテッド・アーティスツ配給で公開された。批評家、観衆からの絶大な支持を得て、その年のアメリカ国内第2位の興行成績となった。アカデミー賞では作品賞をはじめ、ノミネートされた11部門中10部門を受賞した。また、映画のサウンドトラック・アルバムも空前の売り上げとなった。

大空港

原作は、緻密な取材でさまざまな業界の内幕を描く、アーサー・ヘイリーのベストセラー小説。上映時間の制限上、省略された人物やエピソードはあるものの、全体としては原作にかなり忠実に映画化されている。脚本・監督は、名作『三十四丁目の奇蹟』(1947)のジョージ・シートン。音楽は、『慕情』(1955)他でアカデミー賞を9回も受賞しているアルフレッド・ニューマンで、作曲後の死去により、この仕事は彼の遺作となった。

出演は、『エルマー・ガントリー/魅せられた男』(1960)でアカデミー主演男優賞に輝いたバート・ランカスター、かつてはジェリー・ルイスと「底抜け」コンビを組み歌手としても有名なディーン・マーティン、『悲しみよこんにちは』(1957)のジーン・セバーグ、『ブリット』(1968)のジャクリーン・ビセット、『暴力脱獄』(1967)でアカデミー助演男優賞を受賞したジョージ・ケネディらといった、オールスター・キャストであった。

ならず者

盗まれた馬を探しにやってきたお尋ね者のドク・ホリディ。旧友の保安官パット・ギャレットの協力で馬を発見するが、馬は若き無法者ビリー・ザ・キッドの手に渡っていた。 馬を渡そうとしないビリーはギャレットに撃たれ、ホリディは深い傷を負ったビリーを娼婦リオのところに運び込むが、ビリーはかつてリオの兄を殺し昨夜は自分を犯した男だった・・・。 監督の交代、映倫との争いなどのトラブルに見舞われた、実在の無法者ビリー・ザ・キッドの逃避行を描いたウェスタンだ。

フランスと、アメリカと

1946年、フランスでカンヌ国際映画祭が始まる。

第二次世界大戦の影響を受け、フリッツ・ラング(ドイツ)やジャン・ルノワール(フランス)等の多くの映画人がアメリカに亡命する。亡命ではなく招聘されてあるいは自ら望んでアメリカに行ったマックス・オフュルスやエルンスト・ルビッチ(ドイツ)、ルネ・クレール(フランス)などの作家も含めると、1930年代から1940年代にかけてのアメリカには著名な多くの映画作家が世界中から集まっていた。映画製作本数も年間400本を超え、質量共にアメリカは世界の映画界の頂点にあった。このことにより、1930年代~1940年代は「ハリウッド全盛期」、「アメリカ映画の黄金時代」と呼ばれている。

芸術の時代と言えるだろう。

赤い河

1948年の西部劇。

1851年。開拓民の幌馬車隊と行動を共にしていた開拓者のトーマス・ダンソンは、自分の牧場を設けるのにうってつけの土地を見つけ、幌馬車隊の隊長に別れを告げる。

隊長は「この一帯は、インディアンが出るから危ないし、お前は有能だから手放したくない」と抗議するが、ダンソンは一度言い出すと聞かない一面があったので、根負けする。

幌馬車隊の娘であり、ダンソンに恋をしていたフェンは自分を一緒に連れて行くよう申し出るが、ダンソンは「女は連れて行けない」と断る。代わりに、ダンソンは母の形見である腕輪をフェンに贈り、必ずいつか迎えに行くと約束を交わし、ダンソンに惚れ込んだ同じく開拓者のグルート・ナディンと自分の家畜である2頭の牛を連れて隊を離れた。だが、しばらくして川の近くまで来た2人は幌馬車隊の向かった方向から、煙が上がるのを見て幌馬車隊がインディアンの襲撃を受けた事を知る。助けに行くにしても、ここからじゃ遠すぎるし間に合わない。2人は断腸の思いで幌馬車隊の救助を断念した。

アメリカン・グラフティ

1973年のアメリカ映画。

監督、脚本のジョージ・ルーカスは、処女作『THX 1138』の興行的失敗を受け、自身の高校生活をベースに大衆に受ける青春映画の制作に着手し大ヒットした。低予算で製作されたため「興行的に最も成功した映画」とも言われた。

初公開時のアメリカでのキャッチフレーズは「1962年の夏、あなたはどこにいましたか(Where were you in ’62?)」。

ルーカスが青春時代を過ごした1960年代のモデストを舞台にしており、アメリカ人の誰もが持つ高校生時代の体験を映像化した作品。1962年の夏、多くの登場人物が旅立ちを翌日に控えた夕刻から翌朝までの出来事を追う「ワンナイトもの」である。青春時代の甘味なエピソードが、タイトル通り落書き(グラフィティ)のように綴られる。

また、アメリカがヴェトナム戦争に参戦する以前の「楽しい時代」を1970年代に描いたことにより、戦争のトラウマを別の面から浮かび上がらせたという側面もある。

本所七不思議

幼少の頃読んだ怪談のうち、本所を舞台とした本所七不思議に入っているものがあったのか。

映画化もされている。

置行堀(おいてけぼり)これは結構記憶に残っている。

堀で釣り糸を垂れたところ、非常によく釣れた。夕暮れになり気を良くして帰ろうとすると、堀の中から「置いていけ」という恐ろしい声がしたので、恐怖に駆られて逃げ帰った。家に着いて恐る恐る魚籠を覗くと、あれほど釣れた魚が一匹も入っていなかった、という話。 もっと怖かった様な気がするが・・・・