ウエイターズレースジャパン

ウエイターが瓶とグラスを載せたトレーを手に速さと身のこなしの優雅さを競う「ウエイターズレースジャパン」というレースがあるらしい。横浜市中区の日本大通りで開催され、約90人の選手が出場したそうだ。選手たちは勤務先のユニフォームに身を包み、1人300メートルずつ走った。同レースは仏・パリに倣い、ウエイターの地位向上や観光資源の創出を狙って2011年に初開催。今年から「ウエイターズレース横浜」の名称を変更し、主催団体も日本ウエイターズレース協会として再発足された。

レストランなどのウエイターは一見優雅にやって見せているが、トレーの上にボトルや飲み物の入ったグラスを片手で持って歩くのでさえ慣れていないと大変なこと。優勝者はそれだけウエイターとして経験も技術もあるということだ。ところで女性のウエイターを指して「ウエイトレス」という呼び方もあったが、最近では使われていないようだ。またフランス語に由来した「ギャルソン」という呼び方もある。ただギャルソンとは本来少年を指す言葉なので、フランスであまり若くないウエイターに「ギャルソン」と声をかけるのは失礼にあたるので注意。

名画座

主に旧作映画を上映する映画館が名画座と呼ばれている。名画座の番組編成は、単に作品を寄せ集めたものから、テーマ別に作品をそろえて上映しているもの、また比較的最近に公開された映画を中心にするもの、公開年次に限らず上映するものまで様々である。2本ないし3本仕立てて上映するところが多く、作品ごとの入れ替え制はなく途中入館が可能である。なので途中で腹ごしらえしてもう1本、ということもできてしまう。最新の音響設備が整った大スクリーンで超大作を鑑賞するのもいいが、昭和の香りが残る名画座で、つい見逃してしまった準新作映画や古典的名作を格安で鑑賞するのも楽しい。近年都内では名画座の閉館が相次いでいる。設備が古かったり、最新の3D作品に対応していなかったり、またレンタルDVDケーブルテレビ放送などが普及している現代、生き残っていくには難しいが、こういった場所が無くなっていってしまうのはやはり寂しい。古き良き昭和の名残を何とか維持して守っていってほしい。

シザーハンズ

1990年のアメリカ映画。監督はティム・バートン。主演はジョニー・デップ、ヒロインはウィノナ・ライダー。

とある孤独な発明家によって生み出された人造人間・エドワード。しかし発明家はエドワードを完成させる前にこの世を去ってしまったため、両手がハサミの姿のまま取り残されてしまう。

ある日エドワードの住む城に化粧品を売りに来たペグに引き取られ、ペグの家族や町の人々と生活するようになる。ハサミの手を利用して、植木の剪定やペットの毛のカットなどをするうちにエドワードは人気者になっていく。純真無垢なエドワードはやがてペグの娘・キムに恋をするが、ハサミの手をしたエドワードは彼女を抱きしめることはできない、という美しくも哀しいラブストーリーである。

イースターパレード

イースターパレードは、1950年のアメリカ映画だと思う。

1912年、ブロードウェイのスター・ダンサーであるドン・ヒューズは、パートナーのナディーン・ヘイルにイースター・プレゼントを渡そうとするが、彼女はソロ出演の仕事が入ったからと、ドンの説得むなしく彼のもとを去ってしまった。

しかも、ナディーンはドンの親友ジョニーことジョナサン・ハロウ3世に惹かれていることが分かったため、恋人同士として付き合っていくこともなくなった。 酒場でしょんぼりしていたドンにジョニーは励ましの言葉をかけるが、ドンは新しいパートナーを見つけたと答えた。 そのパートナーとは、酒場の歌手ハンナ・ブラウンだったが、彼女はダンスに関しては素人だったという。

イーストウッド

1959年からCBSで放映されたテレビ西部劇『ローハイド』で、ロディというカウボーイを演じる。同作品は約7年間に亘り220話近く製作された人気シリーズとなり、イーストウッドの知名度と人気は世界的に高まった。1964年にはセルジオ・レオーネ監督にイタリアに招かれ、マカロニ・ウェスタンの嚆矢でありかつそれを代表する作品となった『荒野の用心棒』に出演。その後も『ローハイド』の撮影の合間を縫って『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』と都合3作のレオーネ作品に出演した。この3作品で名無しの男を演じたイーストウッドはレオーネを師と仰ぎ、レオーネの逝去まで交友を続けた。これらの映画の人気により、イーストウッドの映画俳優としての評価はヨーロッパが先行し、アメリカに逆輸入された形となった。

レイダース 失われたアーク

舞台は1936年。プリンストン大学で教鞭を執る高名な考古学者インディアナ・ジョーンズ教授(インディ)には、世界中の宝物を探し発見するというトレジャーハンターとしての顔があった。ある日、陸軍諜報部よりインディの下にナチス・ドイツがタニスの遺跡を発見して聖櫃(アーク)の発掘に着手したという情報が舞い込む。また情報部が傍受したドイツ軍の電報によれば、聖櫃の在り処を示す重大な手がかりラーの杖飾りはインディの恩師であるアブナー・レイヴンウッド教授の手にあるという。何としてでもナチスより先に聖櫃を手に入れろとの依頼を受け、インディは聖櫃の争奪戦に臨む。

テレビ映画

1950年代のビデオテープレコーダ (VTR) が登場する前には、アメリカ合衆国を中心にフィルム(主に16mmフィルム)を使った映画として、キー局でドラマや西部劇などの作品が製作されており、1本が30 – 60分程度の短編作品の数十から200本程度のシリーズものの形で製作された。日本ではビデオカメラで撮影した生放送のスタジオドラマを放送していたが、アメリカでは時差があるためにフィルムで撮影していた。また、1948年にアメリカの連邦最高裁判所の判決で、ハリウッド映画のメジャースタジオが独占禁止法に触れて、制作と興行が切り離されて、余剰人員がテレビ映画の制作に乗り出したのも要因の一つである。

日本では、民間放送テレビ局の増加する1957年頃から、映画会社が五社協定により、テレビへの協力を拒否した事から、代わりのコンテンツとして西部劇やドラマなどのアメリカ製テレビ映画が多く輸入され、1960年代に全盛期を迎えた。テレビ局が自らテレビドラマを制作するよりも、3分の1から4分の1の予算で済む安上がりで出来のいいアメリカのテレビ映画が重宝されたのである。何よりも開局当時のテレビ局に制作能力のなかったこと、テレビドラマを作れる制作プロダクションがなかったという事情があった。

サウンドオブミュージックのトリビア

原作者のマリア・フォン・トラップ本人が『自信を持って』の曲中ワンシーンだけ通行人として映画に出演している。 地元のザルツブルクを含むドイツ語圏ではヒットしなかった。 西ドイツではこの映画の9年前、ミュージカルが作られるより以前の1956年と1958年に同じくトラップ一家の物語を題材とした映画『菩提樹』、『続・菩提樹』が制作されており、ドイツ語圏での『サウンド・オブ・ミュージック』の不評とは対照的に『菩提樹』は「1950年代で最も成功したドイツ映画のひとつ」とも言われている。

修道女の一人、シスター・ソフィア役はマーニ・ニクソンで、映画『王様と私』におけるデボラ・カー、映画『ウエストサイド物語』におけるナタリー・ウッド、映画『マイ・フェア・レディ』におけるオードリー・ヘップバーン等の歌唱部分の吹き替えをしていた。 長女リーズル役のシャーミアン・カーは将来を嘱望されていたが本作の直後に結婚出産したため女優業を引退してしまった。しかしながら今でもこの作品の思い出話などの講演依頼が途切れることはなく、それなりの副収入になっていると本人は語っている。

 

血塗られた墓標

8世紀のバルカン地方。王族の一人の美しい姫アーサ (AIPが製作したポー原作のホラー映画群で知られるバーバラ・スティール)が 魔女として火炙りの刑に処され、一族を呪いつつ死亡した。 それから百年後、モスクワの学会に出席する為に荒れ野を急ぐ  クロバヤン医師と助手のゴロベック(ジョン・リチャードソン)は、  馬車が故障したので一休みしようと朽ち果てた礼拝堂に入る。  2人はそこで古びた石棺を見つけるが、指を切ったクロバヤン医師の血が 魔女の顔にかかり、死霊が甦った。  2人は礼拝堂に安置されているアーサ姫(スティール2役)の曾孫に 当たるという美しいカティアと出会い、彼女の屋敷に泊まることになる。  甦ったアーサ姫はクロバヤンを誘惑してカティアの父親を殺させ、  遂にカティアの肉体に乗り移った。彼女は暴徒と化した村人達に 捕らえられ火刑に処されそうになるが、危ういところをゴロベックに救われる。

 

ロスチャイルド家

ロスチャイルド家(ロートシルト家)の創始者であるマイヤー・アムシェルとその息子でロンドン・ロスチャイルド家の祖であるネイサンが、「悪辣な手段で財閥の基礎を築いた」という歴史観のもと、初代マイヤー・アムシェルは傭兵業で「他人の血」を売り飛ばして財閥の基礎を築いた男として描き、主役であるその息子ネイサンは、ワーテルローの戦いにおいてナポレオンの勝利という偽情報を流すことでイギリス銀行家を騙して巨万の富を得た男として描かれている。

ネイサンが「ユダヤの卑しい本性」を露わにして、商売敵の銀行家の娘であるブロンドの美女を卑劣な手段で手に入れようとするも、彼女は「アーリア人の血の誇り」を示して拒絶するというシーンもある。