終着駅

1953年のアメリカ映画。

メアリーは7歳の娘がいる人妻で、ローマでジョヴアンニと恋に落ちる。

しかし、家族を思うジェニファーはモンゴメリーに別れを告げずに、ローマの駅からミラノ経由でパリに向かおうとしている。そこから空路でアメリカに帰国するつもりだ。

あわてて家路を急いだので、荷物をおいのリチャード・ベイマーに駅まで持ってきてもらおうとした。午後7時出発の汽車に乗ろうとしたときにジョヴアンニが現われる。汽車に乗ろうとしたが、別れを惜しみ二人は駅でたたずむが・・・

最初から最後まで駅でのシーンというのが非常に斬新。

列車に乗って別れてしまえばそれまでなのに、ひたすら会話で引っ張るところが凄い。

未練がましさが痛々しい映画だ。

また、駅だけあってバックは人々が次々歩く慌ただしさ。静かすぎないところに、大きなリアリティがある。

バニシング・ポイント

1971年のアメリカ映画。

新車の陸送の仕事をしている男コワルスキーは、請け負った「白の1970年型ダッジ・チャレンジャー」の陸送で、翌日の午後3時までの15時間でコロラド州デンバーからサンフランシスコまで到着させるという賭けをすることになった。

途中、スピード違反で警察に追いかけられ、派手に騒ぎを起こして振り切ったことを地方ラジオ局の盲目の黒人DJ・スーパー・ソウルに放送されたこともあって、他愛のない賭けは思わぬ大騒動へと発展する。

かつては海兵隊隊員であり、レースドライバーであり、警官だった事もあるコワルスキーは、数々の障害が降りかかろうと、道々に追跡してくる警察を蹴散らし、ただひたすら車を走らせ続ける。

そんな彼に対して、スーパー・ソウルを始め、共感する者たちの輪が広がっていき、ある者は協力し、またある者は声援を送った。その有様を苦々しく思う警察は、威信にかけてコワルスキーを止めようと異常なまでの検問をひく。しかし、コワルスキーは自らの消失点(バニシング・ポイント)に向かうかのように、アクセルを踏み続ける。

アメリカの広大さを、疾走感溢れる映像で語っている。
ただひたすら車で爆走するだけなのに、あの迫力は何なのだろう。

理由もあってない様なもの。大地の大きさに比べたら、理屈なんてちっぽけなもの。

他愛もない事から、こんなに大がかりなある意味では現象とも言うべき状況を生み出し、最後は破滅へと向かっていく。
アメリカン・ニューシネマの魂がここにあるのだろう。

レイダース 失われたアーク

1981年のアメリカ映画。インディージョーンズのシリーズ一作目だ。

1930年代、第二次世界大戦勃発前。ナチスドイツは、兵器利用のため、伝説の<聖櫃(アーク)>を探し求めていた。

対するアメリカは、考古学者インディ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)に調査を依頼。<聖櫃>発掘のヒントとなる杖のメダルを手に入れようと、彼は恩師の娘だったマリオン(カレン・アレン)に会うが、ライバル学者ベロック(ポール・フリーマン)とナチスの影が、既にエジプトに忍び寄っていた。

インディーは教授という事で、ヒーロー然としていない所が風変わりで面白いと思う。

二作目以降はエンターテイメントとして、明るい雰囲気を持っているが、この一作目はアクションに重きを置き、怪しげな空気を醸し出している。

黄金狂時代

1925年のチャップリン映画。

雪深い山に金鉱を捜し求めてきた一人の金鉱探し・チャーリー。猛吹雪に難渋した上、転がり込んだ小屋にはお尋ね者のブラック・ラーセンがいた。

やがて、同じく猛吹雪で転がり込んできた金鉱探しのビッグ・ジム・マッケイと避難生活を送ることとなる。寒さと飢えがピークに達し、ビッグ・ジムはチャーリーがニワトリに見える始末。

やがて靴を食べる生活まで始めた。

ビッグ・ジムと別れ、麓に出来た新興の街にやってきたチャーリーは酒場で出会ったジョージアに一目ぼれ。最初はチャーリーの単なる片思いであったが、ジョージアも粗暴なジャックに愛想を尽かし、チャーリーに少しずつ思いを寄せるようになる。
酒場で偶然再会したビッグ・ジムと艱難辛苦の上、ついに金鉱を探し当て百万長者になったチャーリー。帰りの船上でジョージアと再会。めでたく結ばれる。

靴を美味しそうに食べるシーン、飢えからくる悲惨さをも笑いに変えてしまう、正に天才チャップリンの真骨頂だ。

オーバーザトップ

1987年のアメリカ映画。シルベスター・スターローン主演。

主人公のリンカーン・ホークは義父との確執から10年前に妻と息子を残して家を出た。しかし妻が重病との知らせを聞き、義父に内緒で息子と再会し妻の元へと向かう。だがその直後に妻は死に、再び息子も義父の元に。その様な状況の中、ホークはかねてから熱望していた世界アーム・レスリング選手権への出場を決める。息子への思いをぶつけるように、ホークは世界の強豪たちと死闘を繰り広げる。

アームレスリングという、地味な競技の中で、よくここまで主人公の葛藤を描けるものだ。

子供を想う気持ちと、闘う事の崇高さ。

息子が不良とアームレスリングをして、負けて逃げ出そうとする所をホークが諭すシーンは泣けてくる。

駆け引き無しのまっすぐさが感じられる。

スターローンだからどうこう、ではなく映画としてキチンと評価されて良い内容だ。

サミーヘイガーが歌う「オーバーザトップ」も完璧にこの映画にハマっていて素晴らしい。

巴里祭

1933年のフランス映画。

フランス革命記念日の7月14日。前夜祭の中、タクシーの運転手ジャン(ジョルジュ・リゴー)と、花売り娘のアンナ(アナベラ)は互いに惹かれあうが、再会の約束を果たせぬまま、すれ違いが続く。邦題の『巴里祭』は造語であり、適切な表現のなかった配給会社の苦肉の策だったが、映画は国内で大ヒット。以後フランス革命記念日が「パリ祭」と呼ばれるほどに浸透した。

巴里に残ったのは生活が丸見えの庶民ばかり。そして派手に巴里祭を祝う。そういう中、二人の恋人が本当の愛かどうか、試されてるかのように別れ、再会し、結ばれる。

パリの下町風情漂う映像感は、非常に臨場感があり、心地よい映画だ。

 

西部戦線異状なし

1930年のアメリカ映画。

第一次世界大戦中、ドイツのとある学校。生徒たちに愛国心を説く老いた教師。生徒たちも進んで入隊を志願し、愛国歌「ラインの護り」を歌いながら教室を後にする。ポール(リュー・エアーズ)はケンメリッヒ、気弱なベームと同じ内務班に配属された。新参兵をしごくのは、本職は町の郵便配達員で、応召して軍に復帰したヒンメルストス軍曹である。主人公たちは泥沼になった地面を匍匐するといった激しい訓練を経て、どうにか一人前の兵隊になる。戦場に送られた彼らをカチンスキー(ルイス・ウォルハイム)ら古参兵たちが温かくいたわってくれた。銃砲撃を受けて、仲間は次々と戦死していく。ポールは激戦中に砲弾穴へ落ちたが、同じ穴に飛び込んできた若いフランス兵をとっさに突き殺す羽目になる。そのフランス兵のポケットから彼の妻子の写真が落ち、ポールの胸は痛む。

負傷休暇をもらい故郷へ帰ったポールは、母校に立ち寄った。そこでは、相変わらず老教師が戦争を讃え、愛国心を説いている。ポールは教室で戦争の悲惨さを語ろうとするが、軍国主義の教師や生徒たちが期待したような功名談などしゃべれるわけもなく、彼らを失望させる。休暇が終わったポールは隊に戻り、仲間と共に知り合いになったフランス娘と楽しいひとときを過ごしたのもつかの間、カチンスキーが弾片を受けて戦死した。長雨の後の晴れた日、戦場は珍しく静かだった。ハーモニカの音が聞こえ、一羽の蝶が飛んできた。塹壕からそっと手を出すポール。その瞬間、銃声一発。敵狙撃兵の弾丸がポールの若い命を吹き消した。

“戦争”をドイツの視点から描いている傑作。

自分が刺し殺した敵兵が持っていた妻子の写真を見て嗚咽するシーンは、何度観ても泣ける。

スティング

1973年公開のアメリカ映画。監督はジョージ・ロイ・ヒル。アメリカン・ニューシネマの代表作『明日に向って撃て!』で共演したポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが再共演を果たした。

シカゴのダウンタウンが舞台。
フッカーは殺害されたルーサーの仇を打つため、天才賭博師ゴンドーフを訪ねる。 その相手は大物ボス、 ロネガン。 スコット・ジョプリンの軽快なラグタイムに乗せて 一世一代の大芝居が始まる。

弾や秘密組織といった大がかりなものよりも、騙しのテクニックとも言うべきものがあり、最後のどんでん返しを鮮やかに見せてくれる。

最後まで通して、お洒落な印象が強い。

3つ数えろ

1946年のアメリカ映画。

レイモンド・チャンドラーの「大いなる眠り」の映画化。

地方検事と衝突して検事局の調査員を辞職、私立探偵を開業したフィリップ・マーロウがスターンウッド将軍の邸宅を訪れる。屋敷には大富豪の娘として我儘に育った姉のヴィヴィアンと妹のカルメンが住んでいるが、この美しい姉妹は同時に老人の頭痛の種でもあった。将軍は古書店主のガイガーがカルメンに対しバクチの借金の催促の名目で脅迫してきたと探偵に打ち明けて解決を依頼する。将軍の用心棒でお気に入りのリーガンはマーロウとも旧知の仲だが、最近になって賭博師のマースの妻と一緒に姿を消しており雲行きがおかしい。契約を交わし帰ろうとするマーロウを姉のヴィヴィアンが引きとめる。館では用心棒だけでなく運転手も消えていたと知るマーロウ。姉は妹と違い相当なしたたか者らしい。

図書館で古い本の情報を仕込んだ探偵は古書店街に足を運ぶ。正体を隠してガイガーのアジトを訪問するが本人は不在。応対に出たアグネスは客のマーロウを邪険にして追い払う。暗くなってから帰ってきたガイガーを尾行するとラバーン・テラスの一軒家にたどり着く。雨の中、別の車がやって来るが、運転していたのはカルメンだった。外から窺っていたマーロウは、銃声と悲鳴を聞くと家の中に走りこむ。裏庭から立ち去る2台の車。家の中にはチャイナドレスで素足を放り出し酩酊状態のカルメンと射殺死体となっているガイガー。胸像に仕込んだ隠しカメラからはフィルムが抜き取られていた。無人の一軒家、淫靡な隠しカメラ、脅迫者の死体、酩酊した大富豪の娘、他には誰もいない。

マーロウは意識の戻らない娘を彼女の車でスターンウッド邸まで連れ帰ると「何も無かったことにしろ」とヴィヴィアンに釘をさす。自分の車を取りに雨の中を歩いて戻ってみると現場からはガイガーの死体が消えていた。その夜、事務所にいたマーロウを調査員時代からの知り合いであるバーニー刑事が訪れ、スターンウッド家のクルマと運転手が波止場で発見されたと知らせてくれた。運転手のテーラーの死体を見に行ったマーロウ達は、テーラーの死は自殺とも他殺とも判断がつかないと話し合う。

複雑な人間の関係の網目をボガートが冷静な頭脳とタフな精神・肉体でもって辿っていく。途中明らかに本筋とは関わりのない女性が二人、さも主要人物であるかのように登場する。しかし出番は一度きりで、思わせぶりな言動は沈黙に終わる。

チャンドラーの長編だけあって、筋を追うのが非常に大変だ。なかなか難解なサスペンスになっている。

犬の生活

1918年のチャップリン映画。

放浪者が野良犬の群れにいじめられている一匹の犬を助け、「スクラップス」と名付け一緒に生活する。お金を持たず入った酒場で歌手と出会うが店を追い出される。その後、強盗が紳士から盗んで埋めた財布を犬が掘り当て大金を手にし、再び酒場へ。一度は財布を強盗に奪われるが取り戻し、歌手・犬と共に田舎で幸せに暮らす。

浮浪者に扮したチャップリン、彼の寝床である空地の塀の傍。「塀のアチラとコチラ」を場面が行ったり来たりするギャグの後には、「カメラが引いたら警官が」というオチ。この「行ったり来たり」が映画の基調になっているようで、物語は、寝床から、屋台を経て酒場へ、あるいはまた寝床へ、という「行ったり来たり」。警官の目もそこに絡んでくるスリル。そして「目を盗んで早食い」「犬の尻尾」「秘儀:二人羽織」などのギャグが、次から次へと盛り込まれる。

40分の中に暖かさと笑いが凝縮されている。