潜在看護師の職場復帰支援で講習会 都城

結婚や出産などで離職中の「潜在看護師」を対象にした職場復帰支援セミナーが17日、都城市大岩田町の市郡医師会病院で始まった。30~60代の女性13人が参加。27日までの5日間、講義や実習を通じて看護の知識や技術を学ぶ。

 

今看護師は、全然足りないそうだ。

これからの高齢化社会に向けて今よりも数十万人の看護師が必要とのこと。

そこで注目されているのが「潜在看護師」。

もともと看護師をしていたが結婚や出産を機に退職してしまい、今は看護師をしていない人のこと。

看護師をしていたから、資格は持っている。

その潜在看護師が復職してくれれば、かなりの数を確保できるということで、今注目されているようだ。

その潜在看護師が復職しやすいように支援セミナーを行うとのこと。

他の地域でも積極的に同様のセミナーを実施し、潜在看護師が復職しやすい環境を整えていただきたいものだ。

そして、復職を考える潜在看護師は、看護師転職祝い金を活用して職を探していただければと思います。

地獄の黙示録

地獄の黙示録は、1979年のアメリカ映画。

ベトナム戦争。狂人となりベトナム奥地に帝国を作り暴走しているといわれる、元特殊部隊に所属した優秀な軍人カーツ大佐。彼を暗殺せよとの命令を受けるウィラード大尉。河を上り行き着く果てに見たものは・・?

映像や演出で戦争の狂気を表現しているといった印象の作品。

アメリカにとっての大失敗、ベトナム戦争を題材にするとこうなるのか。
自分の居場所は狂気の戦場しかない、そんな大佐の心情を表現している様に思う。

独裁者

ヒトラーとナチズムの風刺を主なテーマとしたチャップリンの「独裁者」は、1940年のアメリカ映画。
サイレント映画を撮りつづけてきたチャップリンが、一気に雄弁にメッセージを送った映画だ。

収容所を脱走したユダヤ人床屋のチャーリー(チャップリン)は恋人のハンナ(ポーレット・ゴダード)と平穏な日々を過ごしていた。しかし、ヒンケルという独裁者(チャップリン=二役)が現れて以来、彼らの人生は一変する。チャーリーは再び収容所につれられ、ハンナは隣国へと逃亡するはめとなった。だがある日、軍服を盗んで逃亡していたチャーリーは、あろうことか何とヒンケルと間違えられてしまう。逆にヒンケルはチャーリーと間違えられる・・・。

ナチズム政権のピーク時にこの映画を制作した勇気と、メッセージ性に驚く。
最後の演説シーンは生々しく、それでいて全編通してのコメディタッチを失わないのは、チャップリンのなせる業か。

チャーリーとヒンケルが入れ替わるなど、二役を演じるチャップリンの茶目っ気が最大に生きている。

日本では当時、ナチスドイツと友好関係にあった為に公開されず、日本における初公開は1960年の事だったのだという。

ちなみにヒトラーもこの映画を観たそうだが、どの様に感じたのだろうか。非常に興味がある。

パーフェクトワールド

1993年のアメリカ映画。クリント・イーストウッドが監督、さらにケヴィン・コスナーと共に主演を務める。

刑務所から脱獄したテリーとブッチは、逃走途中に民家へ押し入る。彼らは8歳の少年フィリップを人質に逃亡するが、ブッチはフィリップに危害を加えようとしたテリーを射殺し、2人で逃避行を続ける。

少年が次第にテリーを父親の様に慕い、それが友情になっていく過程が見事。

ブッチを追跡する警察署長のレッドは、少年時代のブッチを少年院に送った元保安官であり、それを契機に常習犯となったブッチに対して責任を感じ、自分の手で彼を逮捕しようと思っていた。

ここにも、複雑な人間ドラマがある。

ブッチの最後はフィリップに撃たれて死んでしまうが、安らいだ表情から、「これで良かったのだ」という安堵感を感じさせる。とても悲しいラストではあるが、感動。

トッツィー

1982年のアメリカ映画。

ダスティン・ホフマンが女装するという、センセーショナルなコメディ映画だ。

40歳が近い俳優のマイケル・ドーシーは、その完璧主義が災いして周りと上手くいかず、どこからも雇ってもらえなくなってしまう仕事がなかったある日、演劇の生徒サンディが病院を舞台にしたソープ・オペラのオーディションを受けるというので着いて行くが、サンディは落とされてしまう。翌日マイケルは女装し、”ドロシー・マイケルズ” としてそのオーディションに受かってしまう。

最初はお金のための一時的な仕事と割り切っていたマイケルだが、彼が演じたタフな病院経営者役が受け、長期の契約を結び、色々な雑誌の表紙を飾るなど、一躍スターとなってしまう。

カネのために割り切って女装したはずの男が仕事のパートナーの女と女として接するうちに女性の気持ちというものを理解し、その女は女装した男から女としての影響を受けるという、その視点が素晴らしい。

気軽にコメディとしても楽しめるが、単純なハッピーエンドに終わらない静かなラストシーン等から、ドラマ性の部分も堪能できる作品だ。

 

 

フレンチコネクション

1971年のアメリカ映画。

ニューヨーク市警察本部薬物対策課で“ポパイ”とアダ名されるドイル部長刑事。彼は薬物捜査の辣腕だが、捜査のためならば強引な手法も厭わない。

麻薬の売人を逮捕したある夜、ドイルは相棒のラソーと共にナイトクラブに飲みに出かける。そこには有力マフィアの組長たちが妻同伴で来店していた。その際、組長夫妻たちと共にテーブルを囲み、札びらを切っている30歳ほどの夫婦がいた。不審に思ったドイルとラソーは、その夫婦を捜査する。

夫婦は、表向きはブルックリンでデリカテッセンを営んでいるが、夫のサル・ボガは強盗事件などで何度か捜査対象になるなど、犯罪やマフィアに近いところにいた。工員、郵便配達人などに偽変しながら夫婦を視察下に置くドイルとラソー。すると、夫のサル・ボガがニューヨークの麻薬取引の元締めで大物マフィア・ワインストックの舎弟であることが判明した。また、サル・ボガは近いうちにフランスとのヘロインの大口取引を任されるという。

財務省麻薬取締部の捜査官たちと捜査を進めると、“フレンチ・コネクション”と呼ばれるマルセイユの黒幕・シャルニエがニューヨークを訪れていることが判明する。シャルニエを執拗に追及するドイル。シャルニエはこれ以上追及の手が迫ることを恐れ、殺し屋・ニコリをドイルのもとへ差し向ける。

街の寒さと冷たさがひしひしと伝わってくる映像と、犯人をつかまえる為の炎の様な執念のコントラストが凄い映画だ。オールロケで撮ったらしく、そのリアリティさは群を抜いている。カーチェイスの場面も手に汗握る。
実話を基にしているのだという事は、知らなかった。

 

 

自転車泥棒

1948年のイタリア映画。

2年間無職だった父親が、ようやく役所のポスター貼りの仕事を得る。自転車が必要だと言う事だが、生活が厳しいため質屋に入れていた。そこで妻がシーツを質に入れ、そのお金で取り戻す。
さあこれから、新しい仕事だと意気揚々の父親を見て、息子も喜ぶ。

ところがその自転車が盗まれてしまう・・・

この父親はその後、逆に他人の自転車を盗んでしまい、捕まって息子の前でどつかれる。
本当に悲しい、胸の痛む映画なのだが、切羽詰まった貧困の中でどう生きるべきか、どう行動するべきか
応えの出ない世界だ。

大規模医療機関同士がIT使い診療情報共有-がん研有明病院と済生会中央病院が協定

がん研究会有明病院と東京都済生会中央病院は18日、がん診療領域や診療情報の共有などで連携を図る契約を結んだ。両病院が不得意な領域を補完し合いなが ら協力体制を築きたい考えだ。両病院によると、大規模な医療機関同士がITを使って互いの診療体制を補完するのは極めて珍しいという。

 

そうなんですか。

こういうことは極めて珍しいんですね。

ITを使うから珍しいのかな?

医学の研究者が集う「学会」というものがあって、そこでは医師が普段行っている研究成果を発表していると聞いたことがある。

でも、「学会」では、自分の研究成果を発表したり、他の医師の研究成果を聴いたりはするけど、医師同士がお互いの研究成果を基に協力したりするわけではないんですかね?

こういった取り組みは、もっともっと積極的に行われていいと思いますけどね。

今回の有明病院や東京都済生会中央病院をはじめとする大規模医療機関への転職を考えている看護師の方は、http://看護師求人高収入.biz/を利用して求人を探してはいかがでしょうか。

ショーシャンクの空に

1994年のアメリカ映画。原作はスティーブン・キングの「刑務所のリタ・ヘイワース」。

銀行員として成功していたアンディ・デュフレーンは、妻とその愛人を射殺した罪に問われてしまう。アンディは裁判で容疑を否認したが、終身刑の判決を受け、ショーシャンク刑務所に投獄される。刑務所が持つ異質な雰囲気に初めは戸惑い、孤立するアンディだったが、決して希望を捨てず、明日への自由を信じ続けた。

そんな中、「調達屋」と呼ばれ服役囚たちから慕われていた囚人“レッド”ことエリス・ボイド・レディングと出会う。

間の尊厳を維持することの大切さと大変さを考えさせられた。希望を持つことがいかに重要か、そして、希望を待つだけでなく自ら道を切り開こうとする意思の大切さも考えさせられる。アンディは穴を掘ることで、レッドはアンディとの口約束を信じることで、辛うじて人間たることを保てたのだろう。

市民ケーン

市民ケーンは、1941年のアメリカ映画。
若き日のオーソン・ウェルズが制作・監督・主演まで勤めている。

「薔薇の蕾…」謎の言葉を最後にこの世を去ったケーンは、一時は大統領候補にまで登りつめながら、晩年は孤独だった大富豪である。この言葉の意味を突き止めるよう命じられた記者がケーンの関係者たちを訪ねる。

どれだけ裕福で、傍目には成功したかに思える人生でも、満たされない想いを抱えて孤独に死んでいく主人公。
幼少期の愛情不足からケーンが求めたものは本当は愛だったのだが、それは与えられず、権威と財産だけが与えられる事の悲しさが、これでもかという位に伝わってきて、悲しくなる映画だ。